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共通一次の科目3〜センター試験に接続する最後の3年間(1987〜1989年)

共通一次の最後の3年間(1987〜1989年)です。理科社会は1科目ずつの5教科5科目(理科社会は各100点で800点満点)になりました。
英数国は変更なし。理科と社会は次の通り(Wikipediaより)。

理科(60分、100点)
   物理、化学、生物、地学、理科Iのいずれか1科目
社会(60分、100点)
   「倫理、政治・経済」、日本史、世界史、地理、現代社会のいずれか1科目
現代社会」、「理科I」の2科目は、普通科および理数科の卒業(見込み)生が各教科の中から選択することを禁じた。

 旧課程用の科目とのバランスを考える必要がなくなったので,新課程の「必修」の内容のみにすることも可能だったはずですが,英数国の3科目は「必修+α」のまま,理科と社会は「必修」が外される形になりました(普通科,理数科)。国公立大学の入学者に求められる基礎力と学習指導要領の「必修」の内容のズレが明確になったとみることができます。
もちろん「現代社会」と「理科I」を受験科目から外したとはいえ,きちんと履修していることは前提(Wikipediaによると未履修問題はおき始めていたようですが)なので,内容のズレといっても“必修だけでは不十分”ということでしょうが。そもそも,「理科I」はともかく「現代社会」がどうして必修科目になって,実際の内容や扱いがどんなものだったのか,私にはよくわかりませんが…。
「画一教育から個性重視教育への転換」*1の時代になって「必修」にこだわる必要はなくなったということかもしれません。

 このとき,もう1つ大きな変更がありました。それまでは,“ 共通一次の科目=各大学の一次試験の科目 ”(「傾斜配点」*2がとられることはありましたが)だったのが,「5教科5科目の範囲内において、大学・学部はそれぞれの特色に応じて、志願者が受験すべき教科・科目を自主的に指定する」ようになったのです*3
センター試験と同様に教科・科目の数が自由に選べる形になったということになります。
「5教科5科目が望ましい」という立場だったようですから,当時,どのくらいの国公立大学共通一次科目を4教科以下にしたかはわかりませんが,国立大学の入試の軽量化を許す動きが始まったということになります。

 共通一次の(最大)科目数が減ったり,大学ごとに少ない教科を指定できるようになった背景には,5教科7科目では負担過重感が強いという批判があったそうですが,私は「科目が多い」とかはあまり思っていませんでした。私立文系だと科目が少ないらしいとは聞いていましたが,理系だし国立志望だし…。こんなもんなんだろうという感じ。高校入試のときも5教科(中学の内容全部が範囲)だったわけだし。公立高校の入試と一緒にはできないんだろうけど。
まわりのみんなも同じように5教科7科目の共通一次の準備をしてたというのも,“たいしたことない”という気持ちにさせてくれたんだろうなと思います。

*1:昭和59年発足の臨時教育審議会があげた教育改革の基本理念の1つ

*2:、「5教科7科目の総点によらず、教科間での重みづけを自由とする」方式。私の受験のとき(昭和59年度)にもありました。

*3:国立大学協会入試改善特別委員「共通第1 次学力試験のあり方をめぐって」(昭和61年11月6日)