No Haste, No Chains ~数学の教育をつくろう~

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スプートニクと現代化〜Eテレ「ニッポン戦後サブカルチャー史II」(2015年10月9日)

忘れないうちに…

NHKEテレ「ニッポン戦後サブカルチャー史II」の第2回(2015年10月9日放映)*1は,「SFは何を夢見てきたのか?」で,SFの話でした。大阪万博,「時をかける少女」「日本沈没」…etc.といった年代的にぴったりの話も多く,「サブカルチャー史?」の中で一番面白い回でした。

その中でおっ!?と反応してしまったのが

  スプートニク1号打ち上げ(1957(昭和32)年)

が出てきたこと。米ソの冷戦の時代,世界初の人工衛星スプートニク1号ソ連)の打ち上げは,その後のボストーク1号の打ち上げ(1961年)もあって,米ソの宇宙開発競争と科学技術の発達をもたらしました。日本でも「宇宙ブーム」が起きたことなどが紹介されていました。本当に,一般の人にも衝撃的なことだったんだ!

私が「スプートニク」と聞いて真っ先に思いつくのは,「スプートニク・ショック」からの数学教育現代化の流れです。

昭和32年ソ連が世界初の人工衛星スプートニク」の打ち上げに成功したのをきっかけとして,欧米を中心に科学教育向上の気運が高まりました。数学教育においては,現代数学の急速な発展を背景に,集合論や位相数学などをとりいれたカリキュラム・教材が研究されるようになりました。こうした一連の流れは,数学教育の現代化と呼ばれています。
(大日本図書「教科書いまむかし」の数学教育現代化時代のページ*2より)

とあるように,いわゆる「現代化カリキュラム」とスプートニク・ショックはセットで語られることも多いんですよね。

この数年後,1961〜1963(昭和36〜38)年に小学校から順に新しい教育課程が始まります。
これが現代化カリキュラム …ではなくて,その1つ前の課程です*3
欧米ではスプートニク・ショックからあまり時間をおかずに数学教育の現代化の動きが始まったようですが,日本では慎重だったようです。単に改訂の予定時期までに時間がなくて*4間に合わなかっただけかもしれませんが。
大学教育では反応は早く,スプートニクの打ち上げの翌年1958年度の入試から理工系学部の定員増加が行われ,第一次理工系ブームが始まるんですけどね*5
 

科学は発達しSFも広がっていく,そんな1960年代を経て,1970年に開催されたのが大阪万博
 “期間限定のSFの世界”
 “科学が提示する未来の見本市”
 “科学が進めば便利で明るい未来場待っている”
という高揚感あふれるものだったのですが,万博後くらいから“明るくない未来が顔を出して”きます。SFの世界でも「日本沈没」とか「宇宙戦艦ヤマト」とか。
1970年ごろは世相の転換期だったようです。


「現代化カリキュラム」が開始されたのは,ちょうどその頃*6
高校での実施が始まったのは1973(昭和48)年(年次進行)。スプートニク1号打ち上げの年に生まれた人の多くが高校に入学した年であることに,不思議な結びつきを感じます。

*1:公式ホームページ

*2:https://www.dainippon-tosho.co.jp/math_history/history/age03_ju/index.html(大日本図書ホームページ内)

*3:系統性を重視したカリキュラム(Wikipedia「学習指導要領」より

*4:小中学校用の指導要領の告示は1958(昭和33)年10月

*5:スプートニクの落とし子たち 理工系エリートの栄光と挫折」(今野浩毎日新聞社,2010年)によると,東大理科一類の定員は,それまでの400人から1958年には450人,1959年には550人,他大学も定員が増えたそうです。

*6:告示は万博前や万博の年の1968〜1970(昭和43〜45)年,実施は万博後の1971(昭和46)年(小学校)〜