No Haste, No Chains ~数学の教育をつくろう~

※はてなダイアリーから移行しました

星に願いを〜「努力」のこと

今日は七夕ですね。

今では七夕飾りとはすっかり縁遠くなってしましましたが,子どもの頃は,毎年のように七夕の短冊にお願いを書いたり・書かされたりしました。

で,小学生くらいの頃,私が短冊によく書いていた願い事は…

  「努力できる人になれますように」

……なんのこっちゃ。

○○が欲しいとかは特になかったし(物欲に乏しい子供だった),どこそこに行きたいとかもなかったし(そもそもおもちゃとか身近な旅行とかの希望なら,お星さまじゃなくて親に頼むべきことだろうとかも思った),実現が難しい・難しそうな大きな夢を掲げるのも恥ずかしいかった(というか,そんな夢も特になかった)んですよね。

で,それ以外によくあるのが,「○○ができるようになりたい」(学校のテストでいい点が取れるとか,ピアノがうまく弾けるとか)とかの現実的で身近なことの達成の希望なのですが,そんなこと書いちゃうと「じゃあ,できるように頑張ればいいじゃない」「じゃあ,今日から○○する?」と言われるのがオチだなあ,と。実際に親や先生に言われたわけではないですが(だって,書いてないし)。できるようになりたいな,ならなきゃな,頑張ればできるようになるんじゃないかな(それがわかるまでやってみれば?)と思ってるのに頑張ってないし,頑張る気持ちが長続きしない,今一つ気乗りしないのが問題なのに。

で,具体的な内容を隠して予防線を張った願い事が「努力できる人になれますように」。
「じゃあ,頑張ればいいじゃない」と自分に言うのは,他ならぬ自分自身だったわけで,逃げてるなあ……。
でも,「努力しました」って胸を張って言えることは何もないのは事実なんだよなあ。

そもそも「努力」ってなんだろう。嫌なことや苦手なことを時間をかけて修得すること?私は自動車学校で通常の倍くらい実技練習したけど*1,それは努力とは違うような気がする。目的のために何かを犠牲にして頑張るのが努力なら,そういう経験もない。うーん……。そういえば「努力する人間になってはいけない」*2って本もあったなあ(途中までしか読んでないけど)って本もあったな。

よくわからないけど,とにかく,努力をしなきゃ,今以上。

*1:へたくそすぎてなかなか終了検定・卒業検定を受けさせてもらえなかった。運転免許(普通自動車)の取得費用は1.5倍…。

*2:「努力する人間になってはいけない」(著:芦田宏直

スプートニクと現代化〜Eテレ「ニッポン戦後サブカルチャー史II」(2015年10月9日)

忘れないうちに…

NHKEテレ「ニッポン戦後サブカルチャー史II」の第2回(2015年10月9日放映)*1は,「SFは何を夢見てきたのか?」で,SFの話でした。大阪万博,「時をかける少女」「日本沈没」…etc.といった年代的にぴったりの話も多く,「サブカルチャー史?」の中で一番面白い回でした。

その中でおっ!?と反応してしまったのが

  スプートニク1号打ち上げ(1957(昭和32)年)

が出てきたこと。米ソの冷戦の時代,世界初の人工衛星スプートニク1号ソ連)の打ち上げは,その後のボストーク1号の打ち上げ(1961年)もあって,米ソの宇宙開発競争と科学技術の発達をもたらしました。日本でも「宇宙ブーム」が起きたことなどが紹介されていました。本当に,一般の人にも衝撃的なことだったんだ!

私が「スプートニク」と聞いて真っ先に思いつくのは,「スプートニク・ショック」からの数学教育現代化の流れです。

昭和32年ソ連が世界初の人工衛星スプートニク」の打ち上げに成功したのをきっかけとして,欧米を中心に科学教育向上の気運が高まりました。数学教育においては,現代数学の急速な発展を背景に,集合論や位相数学などをとりいれたカリキュラム・教材が研究されるようになりました。こうした一連の流れは,数学教育の現代化と呼ばれています。
(大日本図書「教科書いまむかし」の数学教育現代化時代のページ*2より)

とあるように,いわゆる「現代化カリキュラム」とスプートニク・ショックはセットで語られることも多いんですよね。

この数年後,1961〜1963(昭和36〜38)年に小学校から順に新しい教育課程が始まります。
これが現代化カリキュラム …ではなくて,その1つ前の課程です*3
欧米ではスプートニク・ショックからあまり時間をおかずに数学教育の現代化の動きが始まったようですが,日本では慎重だったようです。単に改訂の予定時期までに時間がなくて*4間に合わなかっただけかもしれませんが。
大学教育では反応は早く,スプートニクの打ち上げの翌年1958年度の入試から理工系学部の定員増加が行われ,第一次理工系ブームが始まるんですけどね*5
 

科学は発達しSFも広がっていく,そんな1960年代を経て,1970年に開催されたのが大阪万博
 “期間限定のSFの世界”
 “科学が提示する未来の見本市”
 “科学が進めば便利で明るい未来場待っている”
という高揚感あふれるものだったのですが,万博後くらいから“明るくない未来が顔を出して”きます。SFの世界でも「日本沈没」とか「宇宙戦艦ヤマト」とか。
1970年ごろは世相の転換期だったようです。


「現代化カリキュラム」が開始されたのは,ちょうどその頃*6
高校での実施が始まったのは1973(昭和48)年(年次進行)。スプートニク1号打ち上げの年に生まれた人の多くが高校に入学した年であることに,不思議な結びつきを感じます。

*1:公式ホームページ

*2:https://www.dainippon-tosho.co.jp/math_history/history/age03_ju/index.html(大日本図書ホームページ内)

*3:系統性を重視したカリキュラム(Wikipedia「学習指導要領」より

*4:小中学校用の指導要領の告示は1958(昭和33)年10月

*5:スプートニクの落とし子たち 理工系エリートの栄光と挫折」(今野浩毎日新聞社,2010年)によると,東大理科一類の定員は,それまでの400人から1958年には450人,1959年には550人,他大学も定員が増えたそうです。

*6:告示は万博前や万博の年の1968〜1970(昭和43〜45)年,実施は万博後の1971(昭和46)年(小学校)〜

楽しい授業〜益田ミリさんのコラム(朝日新聞,2015年10月17日)

益田ミリさんが新聞のコラム*1で,学校の勉強で楽しかった思い出のことを書いていました。

間違いなく楽しくて,待ち遠しかったというその勉強は,小学校1年生のときの「ひらがな」だったそうです。
 

ほら、ここはこーんなふうにまがって、最後はくるん。な、みんな、面白いだろう?
 それが本当に面白そうで、
 「先生はいいなぁ、黒板にあんなに大きく字が書けて」
 と、うらやましかった。

と,ひらがなを“書く”ことが「面白そう」と思ったり

わたしには、ひらがなにも性格があるように思えた。
 「あ」の行はきちんとしている。勉強ができて、なんでも一番の人々だ。

   (中略)

 けれど、一番すばらしいのは「ま」行の人々である。どの行よりも、優しく見えたのは、むろん、自分の名字が「ま」で始まるせいである。まみむめも。全体的に丸みがあってかわいらしい。自慢でならなかったが、誰にも自慢はしなかった。

と,形や響きから“ひらがなの性格”を感じたり

 クラスメートの名前の一文字を習うとき、ああ、これが「わだくん」の「わ」なんだなぁと親しみがわいたものだ。耳で聞こえている言葉が、あるいは普段、口にしている言葉が、こんなふうに文字になって目で見られるということが不思議だった。

と,音としての言葉,モノの名前としての言葉が文字で見られることを不思議に思ったり・・・。すごく楽しそうです。
特別な工夫が施されたり,イベント的なものではなく,ひらがなの書き方を習ったり,習ったひらがなを使った言葉を捜したりという,おそらくごく普通の日常的な授業だったみたいなんですけどね。

ミリさんの,その“楽しい”という気持ちですが,周りの大人(先生とか家族とか)には見えてなかったかもしれません。大人から見れば,普通の授業を普通に受けてるというだけにしか見えなかったかも。「ま」行を自慢に思っても誰にも自慢してないし,“耳から入る言葉が文字になって見えることが不思議”という気持ちも,大人になった今だから説明できてるけど,当時(小学一年生)は言語化されてなかった可能性も高いような気もします。面白いと思っても意識的に外に出さないこともあるし,特に理由なく出さないこともある。時間がたって気づく楽しさや面白さもある。

何か感じたら先生や親の期待するような形&期待するようなタイミングでアウトプットされるかというと,そうじゃないと思うんですよね。
思ったような反応がないから,意欲がない・関心がないと決めないようにしたいものです。

*1:(オトナになった女子たちへ)「「ん」の入る言葉は?」(朝日新聞,2015年10月17日)web版はこちら

読書感想文のこと

夏休みも終盤ですね。
夏休みの宿題の定番といえば読書感想文。私の頃もありましたが,苦手でした…。読書感想文が,というより,作文が,ということですが。
「原稿用○枚」の指定があるので,あらすじ的な内容でかなりを埋め,文体はもちろん,ですます調(だ調より文字数が稼げるから)。原稿用紙を埋めることだけを考えて書きました。そんな調子なので,賞とは無縁,候補にもなったことなかったです。

この前,探し物をしていたら,娘が小学校2年生のときに書いた読書感想文(たぶん初めて書いた読書感想文)が出てきました。
選んだ本は「きつねのまいもん屋」*1。楽しいお話です。感想文には,不思議に思ったこと,もしも自分が主人公の立場だったら…などが短い文で,次々と書かれています。リズムがよくて楽しくて,「すごくいい感想文だ!」*2と思ったのを思い出しました。私は大好きだったのですが,担任の先生からは特に褒められることもなく,賞とかとは無縁でした。

娘が小学6年生のときは,選んだ本は「モモ」*3。このときは,感想文のコンクールに出されることになりました。*4感想文をコンクール用に清書していたのを見たのですが,なんか最初に書いたのと違う…。
 「あれ?[娘]ちゃん,こんなこと書いてたっけ?」
と聞いたら
 「そうなんよね。なんか[娘]ちゃんが書いたんじゃないみたいになっちゃった…」
担任の先生が添削が入ったようですが,誤字・脱字や文のねじれ,原稿用紙の使い方などのチェックと修正だけかと思ったら,そうではなかったようです。
 (私)「自分の感想と違うなと思うところは,先生の言う通りに変えなくてもいいんじゃない?」
 (娘)「そうよね」
で,先生の修正案の通りにはしなかったみたいです。

後で,「先生に何か言われた?」と聞いたら,「(修正案から)変えたんだね」と少し残念そうだったそうです。
その感想文が賞をとることはありませんでした。

「大学のジレンマ?教育のジレンマ?」(「ニッポンのジレンマ」(4月26日(日)放映/NHK)

録画を消去する前にちょっとだけメモ。

全体的に,昔(自分の受けた教育)&今の日本の教育に肯定的で,変えたほうがいいところはあるけど,いいところもたくさんあるという感じでした。よくある,危機感を煽る流れじゃなかったのがよかった。

  • 大学は「教育機関」という面と「学習機関」という面がある。京都大学では「学習機関」の面が強い。(石井さん)
  • 「小中連携」とかの連携モノが流行っているけど,上のやり方を下に,では下の教育のもっている良さが失われてしまう。
  • フィンランドの教育がすごいって言うけど,別に,普通の授業。違うのは先生の休み(アキ時間,休日)が多いこと。(古市さん)
  • 日本は学校の先生が忙しすぎ。事務職がすべきことも先生がやっている。
  • 日本は学校に過剰な期待をしすぎ。
  • 壊れていないものまで直そうとしているのでは?
  • ガラッと変えていくときって,実は中身はあまり変わっていないということがよくある。細かいことを変えていくことは大事。(古市さん)

などなど。

G型大学L型大学のことだけでなく,最近のニュースでも,人文系縮小論やら,小中連携(義務教育学校)のことやら,新テストは記述式も出す&コンピュータで採点支援(キーワードの有無をチェック)とか,ガラッと変える改革案がいろいろ打ち出されているようですが,壊れていないものまで直そうとして,よかった部分がなくなってしまったり,「変えること」ばかりに気をとられて本質やそこにかかわる人たちのことが置き去りになってしまったりしないように願うばかりです。