No Haste, No Chains ~数学の教育をつくろう~

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自己冷却装置〜「勉強しなきゃダメですか?」(Eテレ「オイコノミア」2013/10/29(前編),11/5(後編)放映分)2

教育には冷酷な面もあるんだという話もありました。

教育を受けることの意味の1つに,自分の伸ばすべき特性(比較優位のある特性)が長く教育を受けることでみつかるということ,つまり,時間をかけていないうちは,能力があるかどうかはよくわからないけれど,時間をかけることで他人より高めか低めかが把握できるようになってくるというのがある。
それは,高いことに対して自信をつけさせる面がある一方で,自分の能力に対して冷静になる,自分の能力を思い知らされるという冷酷な面―自己冷却装置としての働き―もある。

というお話。「教育を受ける,時間をかける」というのは学校の教科学習に限定しているわけでなくて,例えば「お笑い」についてだったら,その勉強や経験(友達を笑わせたり)のことを考えるということです。

向いてる・向いてないを見極めて,じゃあこっち!という感じで得意な方に進路を進めていくことが多いですが,「向いてる」と思って上がった次のステージで「自己冷却装置」が働くようなこともあるので難しいところです。
かといって,みんながみんな,ほどほどのところで手を打つべきかというとそれもつまんない。高みを望んで敗れいくのもまた一興。

時間をかけた後にわかったことが「向いてない」「自分にはたいした能力はない」だとしても,かけた時間は無駄なんかじゃないと思います。
すぐに職業や収入に結びつくことはなくても,何かをするときや何かを理解するためのきっかけになるかもしれないし。
自分よりも向いている人,能力の高い人が世の中にたくさんいるというのはありがたいことでもあります。


又吉さんはNSC(お笑いの養成所)時代を振り返って
 「苦い思い出がよみがえる」「自分は何も持っていないことを知ったということが大きかった」
と言っていました。「何も持っていない」という感覚,つらいよなぁ
「お笑い」に比較優位があると思ってNSCに入学したのに,お笑いの教育が自己冷却装置としての面を見せたということなのでしょう。

又吉さんはその後もお笑いを続けて,うまくいかない時期も長かったみたいだけど,それでも続けて,今はこうして一定の成功を収めている。

自己冷却装置は,諦めて目を背けるためのものでもないし,その前の“自信が少しある段階”を懐かしむためのものでもない。自分の能力について冷静に,謙虚になるきっかけとしてうまく使っていけば,どんな方向に進むにしても(別の方向でもそのままの方向でも)その経験が役立っていくのだろうと思います。