いやなものをいかに見せるのか〜カンブリア宮殿(5/24放映 ゲスト:川上量生)
これまた少し前の放送になりますが…
ゲストの川上量生(かわかみ・のぶお)さんはドワンゴというニコニコ動画とかをやっている会社の会長さんです。私とあんまり変わらない年(私の3歳下)だ…。
ニコニコがユーザーに支持されているところは「一体感」だろうとのことです。
印象に残ったのは
ぼくはどっちかっていうとそういう自分の好きなものじゃなくてイヤなものをいかに見せるのか,本来好きでもなんでもないんだけどみんなといっしょに見てるって状況をどうやったらインターネットに安定して作れるのかというほうにに興味があるんですよ。
というところ。
インターネットというと,
「自分が必要とする情報へ素早くアクセスできる」(検索機能,リンク機能)
「自分の持っている情報を効率よく届けられる」(履歴の分析による広告配信)
ということを目指して発展してきたイメージがあったので,その逆をいくような「好きじゃないものを見せる」という状況をつくろうとしているのがすごいなと思いました。
「本来好きでもなんでもないんだけどみんなといっしょに見てる」状況というのは,川上さんが子どものころの(30年くらい前?)家族や友達どうしでテレビを見るようなイメージだそうです。
この発言の前には
インターネットは共感が薄いんですよ。ネットになってですね。自分の好きなものしか見ない文化ですよ。テレビと違って。
基本,みんながバラバラに好きなものだけをみるってことなんでプッシュとか動機とか,そういう要素が不足しているんですよ。
という発言があり,「人と人とのつながり」のイメージが強いソーシャルネットワークについても
「自分の個人の周りの関係だけを作るっていうのがソーシャルネットワークの特徴」
と言っていました。
同じものを見て瞬間的に一体感がもてるということで「街かどの風景に近い」というのもありました。
和辻哲郎の「倫理学」(一部をちょっと読んだだけだけど)に出てきた「感覚の共有」という言葉をふと思い出しました。
好きでもなんでもないんだけど,みんなが見る(聞く)から一緒に見る(聞く)。
→ 場を共有していることで一体感や共感が生まれ,
新しい興味が生まれたり何かをするきっかけをもらったりしやすくなる。
好きでもなんでもないことだけどみんなで見るというのは,学校の勉強もそうですね。
一人っきりだといろんな意味でツライですが,「みんながやってるからなんとなく」だとラク。
やっぱり好きじゃないままだったということでも,みんなと一緒に見た(聞いた)ときの感覚というのは残って,身近で親しみの持てるものになるということもあります。
個性と目的に合わせた教育をということで,「好きなもの」「必要だと思うもの」だけを「無駄なく効率よく」勉強するのがいいという風潮もあるようですが,それだけじゃつまらないな,と思います。