No Haste, No Chains ~数学の教育をつくろう~

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 「学び合い」?〜ニッポンのジレンマ「僕らの救国の教育論」1

 5月12日にNHK教育で放送された「ニッポンのジレンマ「僕らの救国の教育論」」を見ました。
1970年以降生まれの人の作る番組とのことで,ゲストの4人(東浩紀さん,猪子寿之さん,苫野一徳さん,石戸奈々子さん)も司会の堀アナも70年代生まれです。東さんは71年生まれ,他の4人は77〜79年度生まれ。

 なかなか面白かったです。特に苫野さんと猪子さん。苫野さんは公教育のあり方を丁寧に考えているようすが感じられ,猪子さんは自分自身の中にある素朴な疑問や純粋な気持ちを大切にしている感じ。

 気になったところや思ったことをいくつか…。

 石戸さんが言っていた
  「10歳くらいから自分を客観視するようになり,他人の目が気になるようになる」
は興味深かったです。「多様性を容認してあげないといけない」というのも共感しました。

 同じく石戸さんの発言で,2011年の京大のカンニング事件(携帯電話とネット掲示板を用いたもの)のことを
   「文科省がいっている教え合い・学び合いでもある」
と言ったのは,ちょっと…。あの受験生がしたのは問題を丸投げして解答をもらうだけなので,「教え合い」でも「学び合い」でもなく,単なる「(問題を解くという)作業の委託」では?「教え合い」として解答した人もいたようですが,受験生はそこから学ぶという目的ではなかったのですから。

 高校生が(定期テスト対策で)上手い板書を写メで撮って共有するとかわからない問題を解いてもらって写メで送ってもらったりすることも教え合い・学び合いの形として評価しているようですが,板書を共有するだけ,普通に解いた解答を送っておしまいなら単なる分業じゃないかと思います(板書ノートのコピーを配ったり,教科書ガイドの解答をコピーして渡すのと同じ)。「助け合い」や「チームワークを育てる」にはなっているとは思いますし,テスト勉強の助けにはなっていると思いますが。共有した板書を見ての疑問点を友達どうしで質問しあうとか,つまずいている点を想定してそこがよくわかるような解答を作ったり教えてもらった解答をチェックしてミスがあれば逆に指摘するとかまでしていれば「教え合い・学び合い」といえると思いますし,単なる資料の共有,解答の教え合いであっても,解答の受け手のことを考える気持ちや受け取った解答から「学ぶ」気持ちがあれば「教え合い・学び合い」になっていくと思いますが,カンニング事件のことを出したすぐ後なのでそこまでを含めているようには聞こえませんでした。

 猪子さんが石戸さんの発言をうけて
  「社会では,ネットワークを越えて外部から仕事に役立つ情報を得て結果を出すというのは,メチャクチャほめられることですけどね」
と言っていましたが,「情報を得て」と「結果を出す」の間に何かを付加する必要があるわけで,そうして出した結果だから褒められるんじゃないかということも思いました。

 情報ツールが急速に発達していく中,情報の受け渡しそのものばかり目が行きがちで,目新しい方法や高度な方法だとそれだけですごいようにも見えますが,受け取った後や発信する前を大切にすることを忘れないようにしたいものです。