No Haste, No Chains ~数学の教育をつくろう~

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デジタル化の効果は未知数〜「デジタルが来た」第1回

学びのデジタル化についての連載記事は「デジタルが来た」というタイトルみたいです(前に「教育 あしたへ」とついてるけど)。

12月8日が第1回。おもしろいと思ったのは,文部科学省総務省が期待でいっぱいなのに,実際に利用しているフューチャースクールの先生や情報やデジタルといったものに親しんでいるだろう理系の学会の人たちが冷静だったり警戒感があったりしていること。

理系の8つの学会は「デジタル教科書チェックリスト」を文科省に出したそうです。紙と筆記用具を使って考えながらの作図や計算を減らさないことなどです。デジタルが身近な存在であるからこそ,デジタルのもつ弱点も見えて,手放しで歓迎することの危険性に対する嗅覚のようなものがあるんじゃないかと思います。


以下,気になる箇所をいくつか引用。


数学に関して

日本数学会教育委員長としてリスト作成にかかわった新井紀子・国立情報学研究所教授(49)は「自動採点しやすいドリル形式の教材の導入が進み,証明や式より答えを求める力が優先され,数学力の崩壊につながる」と警鐘を鳴らす。

今でもドリル形式の教材は多いですし,昔に比べて「証明」が軽視されていると言われていますが,それがますます進むということかな。


ノートについて,中原小の宮本郷美校長(57)の言葉

「パソコン上の学びだけでは,思考の経過が消えてしまう。大事な考え方ノートに残す。『いいとこどり』が大事」

書いたものがすべてそのまま残るノートと違って,“残らない”というのはパソコンの弱点の1つだよなぁ。
ノートに残す“大事な考え方”かどうかはどう判断するんだろう。


紙と鉛筆について,赤堀 侃司教授(白鷗大学)と編集委員の氏岡真弓の言葉より

紙に鉛筆で書くときの摩擦のように,学びには皮膚感覚が大事だが,パソコンは距離感がある

ICT(情報通信技術)の議論はコンピューターか人間化,デジタルかアナログかといった二項対立に陥りがちだ。そうならないために「紙と鉛筆」の世代がデジタルの世界をもっと知る必要がある。

同意。しかし,「紙と鉛筆」の世代には,子どものころの「紙と鉛筆」の体験がない(少ない)世代の本当の感覚を正しく理解したり分析することはできないかもしれないのが難しいところ。学びの皮膚感覚も同じではないかもしれない。