No Haste, No Chains ~数学の教育をつくろう~

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突出を許さない雰囲気

昨日(2011年10月27日)の朝日新聞大阪府教育基本条例 私はこう考える」(第2回 乙武洋匡)より

乙武さんが感じた公教育への疑問

突出を許さない雰囲気に対する疑問です。運動会を控え,くらすのやる気に火をつけようと「徒競走でクラスが1位をとれたら,先生は丸刈りになる」と公約しました。実行したら職員室で大問題に。

父兄から苦言があったのかと思ったら,大問題は“職員室で”起きたのか。


職員室の中にある「突出を許さない雰囲気」の背景を考えてみた。

誰かが突出したことをやった場合
 苦情が出る→自分たちもとばっちりを受ける。
 高評価で持ち上げられる→相対的に自分の評価が下がる。(状況の違いやデメリット等も考えず)同じようにすることを期待される。
というような,面倒や悪い評価が自分に降りかかる可能性を感じるからだろうと思う。
要するに「事なかれ主義」だが,そうなる背景には,自分が困っても誰も助けても守ってもくれないだろうということがあるんじゃないかと思う。


昔とは比べものにならないくらい世の中は複雑になり,先生に求められるものの範囲はどんどん広くなっている。「ちゃんとやっている」ということを証明する(数値や文書で第3者にも見える形にする)ことも求められて,昔よりもずっと大変で忙しそうだ。


乙武さんは,大阪府教育基本条例(案)の教師や学校の評価や処分には賛成のようだが,今以上に評価と処分に重きをおいた状態で,他の先生を助けるための時間や労力を割きたいと思えるだろうか。評価が常について回る状況で,評価する側(直接でなくても,評価する側に近い)の校長やベテランの先生に気軽に助けが求められるだろうか。