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テストの点がいいことと人物的に優れていること〜<国公立大入試>2次の学力試験廃止 人物評価重視に

「<国公立大入試>2次の学力試験廃止 人物評価重視に」だそうです…*1

「2次試験廃止」は大げさな表現で,学力試験が一律に廃止されることはないらしいですが*2,「人物重視」の方向に進もうとしているのは確かなようです。「高校時代の成績+共通の学力検査(センター試験など)」とか学力や意欲の検査も兼ねた面接とかなら,私立大学だけでなく国公立大でも,推薦入学やAO入試で今も行われています。それなのに,どうして受験生全体に広げようとするんだろう。大学は「学びの場・学問するところ」なんだから,学力試験重視で選抜するのが一番公平で納得いく方法だと思うのですが。

「人物重視」ねぇ…。選抜の要素としてそれを用いるとなると,「優れた人物である」と他の人にアピールできるような“目に見える活動”とか,「優れている」ことを面接官に理解してもらえる振る舞いとかが重要になるんだろうなあ。これまでと同じことをしていても「点数稼ぎ」とか思われたり・思われるんじゃないかと思ったりするのかなあ。中学の成績表の「意欲・関心」の項目とか,部活を頑張ると内申点がいいらしい(本当?)とかも連想させられる。そもそもどういう人が「人格的・人物的に優れている」かなんて好みと状況でいくらでも変わるのに,「いい人物像」が出来上がってきそうでなんか窮屈だ…。

「勉強ができるからって人格的に優れているとは限らない」はずっと前からよく言われています。うん,その通り。学校の勉強と人物的な向上(?)は別物でしょう。入試で測らなかった部分に関しては,「できる」かは不明だし,逆に「できない・やってない」ともいえない。
学力テストの入試の合格者に確実に言えることは,「そのテストの得点が」「その時点で」「不合格だった学生よりも高かった」ということにすぎません。
学生や卒業生は(難関大学であっても)そのことを謙虚に受け止めること,学生や卒業生に就職試験や実社会で接する人は大学名で過度な期待をしたりしないことが大切じゃないかと思います。

いくら入試制度をいじったところで,入試の合格者に確実に言えることは,「その入試制度での得点が」「その時点で」「不合格だった学生よりも高かった」ということにすぎません。
新テストで学力を測って面接で人物を見るといっても,その方法で測れるのは,新テスト(マーク式?)の点数に表れる学力であり,面接の何分かで面接官に与えた印象にすぎません。
すべての能力・資質を確実に測る方法なんてないんです。一番問題なのは,能力・資質が一部しか測れないことではなく,すべての能力・資質を測った気になってしまうことなんじゃないでしょうか。