1次ソース〜「1000人が考える テレビ ミライ」
昨日はテレビ放送開始60周年の日だったそうで,特集番組が組まれていました。
60年間を振り返り,いろいろな人が「思い出の番組」について語ったりする番組*1と,テレビについて考える討論番組*2。
「テレビが面白くない」「テレビを見ない」という人が増えてきて,テレビはかつての力を失っているように見えます。
個人などが手軽に映像を発信し,反応が返せる時代になって,対してネットの力は大きくなっている。
そんな中でのドワンゴの川上量生さんの言葉が印象に残っています。
「ネットの情報はいろいろあるけど,その1次ソースのほとんどはテレビか新聞。それに代わるメディアはまだ現れていない。10年,20年はそうだろう。」
みたいな内容。
そうなんですよね。
「ネットの情報」「ネット上の議論」というとこれまでの情報媒体とは離れた新しいもののようにも感じられますがも,もとをたどれば新聞やテレビの情報のことが多いわけです。
テレビや新聞という明確に提示されたものがあるからこそ,そこを出発点として新しい情報を提示したり,そこがたたき台となって内容のある議論が出来るわけで。
その分,何をどう伝えるかについての責任感を失わないことが求められます。
あと,「自分たちで番組を作ることもあるけど,テレビの品質には勝てない」みたいな内容もありました。
そんな言葉を聴きながらふと思ったこと。
塾や参考書が巷にあふれ,学校や教科書は批判の対象だったり影が薄かったりしますが,塾や参考書の“1次ソース”になっているのは学校と教科書なんですよね。