“最近の教育”〜「滝山コミューン一九七四」2
4月30日の記事*1の続きで,当時(72〜74年)の教育事情に関することを…。
73年1月の『ひと』(太郎次郎社)の創刊号に書かれた内容
いま,多くの学校は,すべての子どもを賢くすこやかに育てるという本来の使命から大きくそれて,テストによって子どもたちをふるいわけ,成績順にならべるための選別機関と化し,その当然の結果として,多くの学校嫌いを生み出しつつあります。
とあり,著者の小学校でもPTA教養部が72年9月6日に遠山啓を「算数のはなし」と題する講演を依頼した理由
最近の教科書はむづかしくなり,教わる量も増え,受験のための詰め込みのテスト教育が行われて,それが小学校までもその影響がおよぼされている今日,子どもたちをとりまく環境は公害と同様,悪くなるばかりですし
というように,当時は「受験のための詰め込みのテスト教育」が行われていた,というか
滝山団地では,四谷大塚や日本進学教室に通う児童が少なかったにもかかわらず,塾の存在が本来すべき学習の障害になっているという認識は広く共有されていた。
“そういうことになっていた”ようです。進学塾に通う子どもが少なく,しかも通っていることを大っぴらにしない状況では「受験のための詰め込みのテスト教育」が塾に通う児童やその親の側から小学校の授業に影響を与えることはなかったでしょうに。
もちろん実際そのとおりという学校・学級もあったのでしょうが,報道などを通じて作られた「イメージ」が一人歩きして影響のないはずのところにまで影響し,親たちにの不安を大きくしたり,教育政策に影響を及ぼしたりした面もあったのではないかと思います。
「滝山コミューン一九七四」に限らず,教育課程が変化しているにもかかわらず「戦後の教育」「最近の教育」とひとくくりにされたかと思えば,どの程度の影響があるかわからないのに今(あるいは当時)の学習指導要領とセットで語られたりすることにも注意したいです。
ちびまるこちゃんの学校や地域は,「受験のための詰め込みのテスト教育」とも「それに対処しなければ!」という動き(水道方式など)とも縁遠そうです。日本全体で見れば,そんなところの方が多かったのではないかと思います。私のところだってそうだったし。でも,特別目新しいことも困った問題もない学校の勉強についての記録ってないんですよね。
「問題点への対処」に追われるあまり,大きな割合を占める「満足」「だいたい満足」の人たちの感じている「良さ」が失われることのないように願います。
*1:私がちびまるこちゃんだった頃〜「滝山コミューン一九七四」1