No Haste, No Chains ~数学の教育をつくろう~

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「格差」という言葉

格差社会」,「格差をなくそう」,「格差は当然」,…

「格差」という言葉がマスメディアにあふれている.


「大きな差」ぐらいの意味で使われているのだろうけど,「格差」は「格」の差.決して乗り越えられない本質的な違いという印象を持つ言葉ではないだろうか.単なる,「私が感じる」印象だけど.


「格差」の存在を認めてしまえば,そこから生まれるのは諦めとひがみだ.
「格差を乗り越える努力」という方向には向かわないだろう.
だって,乗り越えたいのに乗り越えられない(あるいは乗り越えられると思えない)のが「格差」なんだから.
 
「乗り越えられないもの」は人によって違うし,同じ人でも時期によって違うはず.
それなのに,「格差」という言葉は,「乗り越えられるかもしれない」と考えることを放棄させてしまうのではないか.

 目の前に垂直にそびえ立つ高い壁は,それを上っていけるとはなかなか思えない.上ろうとしたら「できるわけない」「そんなこと考えるより,他のことをしなさい」と言われるだろう.

「格差」という言葉は,ただの山をそびえ立つ高い壁に変えてしまう気がする.

 
 そういうわけで,私は「格差」の存在を認めたくない.
 もちろん,すべての人が,同じもの(能力,経済力,…etc)を持っているわけではなく,それぞれの生活に「大きな差」があることは認める.だが,「大きな差」を「格差」と認めたくはない.ましてや子供たちに「格差は存在する」なんて言いたくない.乗り越えたいもの・(努力を伴うかもしれないが)乗り越えられるものを自分で判断してほしい.判断していいのだと心から思ってほしい.
  
 遠くに見える高い山も,目の前の地面がその頂上まで続いていると信じられれば,いつかは自分の力でそこにたどり着けるという希望が持てるだろう.そして,たどりつくための努力ができるだろう.



(おまけ)
国語辞典を引くと
  「格」…段階.等級.格式.くらい.身分.
  「格差」…2つ以上のものの間にある,資格・等級・価格・設備などの差
とあった.「格差社会」は,「『身分』のある社会」,「等級社会」ということか….